人は、必ず『二見』によってものを考える、
そんなお話を、真光寺の岡本住職から聞きました。
ここでいう『二見』とは、
良い・悪い、といったように二分するといった意味です。
あれはいいけど、これは悪い・・・。
そうやって、分けて考えるから悩みが生まれるといった考えです。
私は、身近な命が亡くなると、
自分を責めるクセがあります。
もっと、何かできたのではないか?
そう後悔し、罪悪感にかられてしまうのですが、
それも、やはり根本には、『二見』に支配されている思考があります。
あれがいい、これがいい、
あれがわるい、これがわるい、と考える。
そして、己を悔いるか、他を責めるか、、、。
そんなときは、『二見』のどちらでもない、
おだやかな中心に帰ることができるとリセットできます。
それを禅の世界では『帰依』するというそうです。
『南無帰依仏』とは、よりどころに帰るという意味もあるそうです。
だからといって、
坐禅だけしてればいい、ってことではありません。
お題目をとなえていれば、幸せになれるということはありません。
占いも同じです。
難を難と考えない思考をつくっていきたいものです。