坐禅は習禅にあらず

禅のおしえ

袖ヶ浦真光寺さんで行われる

今年最後の『聖典講読の会』に行ってきました。

本来のお題である『正法眼蔵随聞記』のお勉強は、

ほんの少し進んだだけ?で、

今回も、岡本住職の雑談がてんこ盛りでした。

私にとってはこの雑談が本丸です。

 

そして、今日は第四土曜日なので、

15時から坐禅会があります。

 

坐禅をするとどうなるの?

どんな効果があるの?

 

そんな疑問を持つと思いますが、

坐禅には、

習禅

参禅

があるそうです。

そして、坐禅は習禅にあらず、といい、

習ったり、教わったりするものではなく

みんなで集まって坐る

なにもせず、ただ坐るというところに

人と人はつながっているという感覚、

すべてはつながり調和されているといった

なにやら自分は個体ではない集合体の一部であることの

幸福感のようなものに満たされ

『私』が消え、おだやかな心境になる、

 

 

何かが得られるとすれば、

そういったことかもしれません。

 

 

できる人、できない人、

きれいな人、足の短い人、

怒っている人、笑っている人、

雨の日、晴れの日、曇りの日、風の日、湿気の多い日、

春夏秋冬、朝昼晩、

空を飛べる鳥、その鳥が宿る大地に根を張った樹木、

海の魚、バクテリア、火山の噴火、

みんながつながっていて、すべては調和している

そんなことがほんの一瞬だけでも感じられれば、

 

人と自分を比べて、あーだこーだと悩んだり、

できない自分を責めたりすることが

減っていくかもしれません。

 

みんなつながっているのだから、

できないのならできる人に助けてもらえばいいし、

助けてあげればいい、

そんな当たり前の原点に立ち返ることができるのが、

坐禅なのかもしれないですね。

 

 

私のつたないへ理屈はさておき、

興味のある方は、第二第四土曜日の15時からやっています。

ぜひ一緒に行きましょう。

お問い合わせフォームからご連絡ください。