自分と全体

禅のおしえ

占いの中に、禅の思想をどのように組み込んでいくか、

なかなか道筋が見えてこなかったのですが、

お寺の聖典講読の会で、今の教材にしている

『原始仏典をよむ(奈良康明)』のおかげで、

日本での宗派が分かれる以前の、

釈尊がもともと伝えたかったことなどを、

少しずつ知ることができ、

なんとなく占いとの融合ができるような気がしてきています。

 

釈尊の教えは、とてもシンプルで、

しかも自律的です。

誰かに言われたからやるのではなく、

自主的な努力を自らに課していく、

そんな姿勢は身が引き締まる思いがします。

また、『私』という我はなく、

すべてはつながっていて、

人はその中で生かされている、

それが真に理解できると、

すべては自分の身に引き当てて考えることができるようになる、

人の痛みも自分の痛みとして感じることができ、

傷つけるようなことはしなくなる。

 

『私』をなくすために、

まずは、『私』を知ることをやってみる、

そのためには、

『私』以外の人のことも知らないと『私』はわかりません。

『私』以外の人のことがわかってくると、

全体の中の『私』の役割というのがわかってきます。

そうなると、全体の一部となる『私』は、

全体に同化していくことができるのかもしれないです。

職場の嫌な奴、と思っていた人も、

全体の中の一部である自分と同じであるのだから、

自分の身に引き当てて考えると、

不平、不満はなくなります。

 

 

 

 

今日は、真光寺の副住職が、

フキノトウをとってくれました。

まだ、少ししか出ていなかったですが、

蕗みそに挑戦してみようと思っています。