2022-08

禅のおしえ

蓮の花芽

昨日は、ひさびさの坐禅会。この日もとんでもない暑さで、いくのをやめようかどうしようか直前まで迷いながら、結局行きましたが、なんと、参加者は私を含めて2名、でした。坐禅なんて、ただ坐るだけなので、いつでも、どこでもできると、皆さん同様、私も思...
禅のおしえ

執着したもののために憂える

人々は、わがものであると執着したもののために憂える。(自己の)所有したものは常住ではないからである。この世のものはただ変化し、消滅すべきものである。(『スッタニパータ』805)こんな文章を転記したからといって、私がそれを実行できているわけで...
禅のおしえ

自分が自分でない

私には子どもがいる、財産がある、と、(誇らしげに)思いつつ、愚かな人は(それが失われないようにと)悩む。しかし、すでに自分が自分ではない。どうして子供や財産が自分のものであろうか。『ウダーナヴァルガ』1・20自分が自分でないとは、自分で自分...
禅のおしえ

無常迅速なり。

聖典講読で勉強したことを、私なりの解釈でここに書いていきたいと思っているのですが、学べば学ぶほど、言葉を失っていくような状態になり、ブログのページを開いては何もかけずに閉じてしまう日が続いています。先月から始まった『原始仏典をよむ』のテーマ...
禅のおしえ

原始仏典をよむ

今月から、聖典講読の会(真光寺)のテーマが新しくなりました。お題とする書籍は奈良康明という方が書かれた『原始仏典をよむ』です。NHKの教育テレビ・こころの時代という番組で奈良先生が講義をされていたそうです。その時の教科書となっていた書籍が今...