自分が自分でない

禅のおしえ

私には子どもがいる、財産がある、

と、(誇らしげに)思いつつ、

愚かな人は(それが失われないようにと)悩む。

 

しかし、すでに自分が自分ではない。

どうして子供や財産が自分のものであろうか。

『ウダーナヴァルガ』1・20

 

 

自分が自分でないとは、

自分で自分が自由にならないという解釈でいいそうです。

 

 

自分が自分のもであるためには、

二つの条件が当時(釈尊の生きていた時代?)のインドにはあったといいます。

それは、

一つにはそれが自分の思い通りになること、

そして二つ目はそれが永久に存続すること

なのだそうです。

 

それを自分のものにしようと、人は四苦八苦するとなります。

四苦は「生病老死

そこに

怨憎会苦(いやな奴にも会わなきゃならない)

愛別離苦(愛しい人との別れが来る)

求不得苦(欲しいものが手に入らない)

五取うん苦(知れば知るほど苦しくなる)

となり、苦しみのオンパレードになります。

 

わたくし事で思い返せば、

昨日の夜も、夫のラップのかけ方が気に入らず、

なんでこんな簡単なことができないんだ・・・、

と、自分の思い通りにならないことにイラっとすることがありました。

 

些細なことですが、日常を見渡すと、

いたるところに、自分の思い通りにいかない現実があります。

 

子供を大学に行かせてあげたい・・・、

そう思うのも親(自分)の(勝手な)思いです。

それを実現させるために、

子供の学力や生活態度を監視するようになり、

学費の工面で資金面に不安が生じ、

夫の稼ぎでは間に合わないためパートに出なければならなくなり、

子供とかかわる時間が減り、スレ違い、

時間、心、肉体、精神、すべてにおいて余裕がなくなり、

自分ばかりが大変な思いをしているように感じ、

気持ちがすさんでいくようになります。

 

そんな時、例えばちょっとしたケガをしたり

病気になったり、車が故障したり、

何らかのアクシデントが降りかかることがありますが、

結果的には、

狂い始めた歯車を元に戻すきっかけになることが多くあります。

 

四柱推命で言えば、劫財の時期に、

そんな出来事が起きることが多々あります。

 

自分の思い通りにしようとしすぎていなかったか、

思い返してみて、何かに気づくことができれば、

少し楽になれるのかなぁと思います。