石の上にも三年か、逃げるが勝ちか?

禅のおしえ

 

今日も、15時からの坐禅会にいってきました。


曹洞宗 瓦谷山真光寺(袖ケ浦)

 

 

その時に、お坊さんがひと言説法を説いて下さるのですが、

今回は、「逃げるが勝ち」

ということに焦点を当てていました。

 

 


真光寺(袖ケ浦)の國生副住職
(坐禅会が終わった後、お茶会を開いてくれます。)

 

 

 

人の悩みは、主に人間関係の問題が大半です。

親子にしろ、兄弟姉妹にしろ、夫婦にしろ、恋人にしろ、

隣人にしろ、職場にしろ、通りすがりの人にしろ、

今では見も知らぬSNS上の人間関係などもありますが、

 

自分の心が乱され、怒りや憎しみや悲しみ、恨み、妬み、

などに苦しむようであれば、

逃げていいんだよ、ということです。

 

 

どんなに辛いことがあっても、

「石の上にも三年」とがんばれる人と、できな人がいます。

また、できる時とできない時もあります。

 

 

ガマンすれば必ずいいことがある、

と、ガマンできる人は言いますが、

できない人は、心も体もボロボロになってしまいます。

 

ここで逃げたら、また周りからあれこれ言われる、

もっと頑張れる自分でありたい、

続けなければ意味がない、

 

そんな風に思ってしまって、頑張りすぎると、

心身のバランスを完全に崩して、

過労死してしまう人すらいます。

 

または、怒りや恨みなどを抱き続け、

大切な日常を無駄している、

そんな環境に居続けるのも辛いものです。

 

 

もう、限界だ、、、と思ったら、

一旦、その場を「諦めて」、

自分自身と向き合う時間を作るといいと思います。

 

 

この「諦める」という言葉は、禅の言葉で、

明らかにする、という意味があるそうです。

 

ここでは、逃げると諦めるをつなげたわけですが、

大切なのは、今日一日を、今という瞬間を、

おだやかに、人と争わず、平穏に過ごせることかなと思います。

 

 

しかし、

「おだやか」でいなければならないのではなく、

「ありがたい」と思わなければならないのでもなく、

自然にそうできる、

自然とそう思えるようになることが、

自己を諦める(明らかにする)、

ということのような気がします。

 

 

そのために、石の上にも三年の人もいれば、

逃げるが勝ちの人もいて、

色々な人がいていいわけです。

 

 

 

逃げる、諦める、

それも、大切な選択肢である、

ということですね。

 

 

次回の坐禅会は、6月26日(土)15時からです。

よかったら、一緒に行きましょう。

 

 

 

真光寺のアジサイがきれいでした。

 

 

 

ぺこちゃん