『く』を『苦』としたまちがい

禅のおしえ

袖ヶ浦の真光寺で毎月行われている

岡本住職による勉強会は、

正法眼蔵が終わり、

奈良康明さんが書かれた『原始仏典をよむ』がテーマとなっています。

今回で3回目ですが、

大乗だの小乗だの宗派だのが分かれる以前の、

紙のない口伝で伝えられていたころの、

仏陀の話がどのように伝えられ経典にされていったのか、

どこに伝え方の間違いや問題があったのか、

そんなことが書かれている部分があり、

とても面白いです。

 

 

 

人生は、自分の思い通りにならないことばかり

ということを仏教では『苦』というようですが、

インドの言葉では『dukkha』というようです。

自由にならないこと、思い通りにならないこと

という意味だそうですが、

 

思い通りにならない『苦』には二つの要因があり、

一つは事物、現象が無常だからということと、

もう一つは、人は無常を嫌がるからだと、

奈良康明さんは書かれています。

 

老いて病んで死ぬことから逃れられない

というのもありますが、

 

病気になった、ケガをした、

事故にあった、災難にあった、

親が死んだ、相続でもめた、

自分を認めてもらえない、

上司が情けない、

朝から夫は時代劇チャンネルにへばりついている
(これは私)

こっちは気を使っているのに相手は返信こない、

飯がまずい、

シミが増えた、

ダイエットがうまくいかない、

 

日常の思い通りにならないことに目を向けてみたら、

すごいことになってしまう。

 

 

 

奈良康明さんは、

とても分かりやすい言葉で書かれるので、

読んだときはすっかり分かった気になってしまいますが、

その内容を自分の言葉で表現しようとすると、

うまくまとまらず、

何度も書き直しているうちに手が止まってしまいます。

 

 

 

紙のない時代、インドの言葉を音で聞いた中国人が

『く』の音に『苦』という文字を当ててしまったことが

この世は苦しみばかり・・・、

となってしまう原因になったという説があるそうです。

 

仏教では、苦しいことばかり取り上げていて

まったくもって悲観的で夢も希望もないと

暗いイメージを持たれてしまう原因の一つとなっています。

 

 

私もそのように見ていたひとりで、

荒行苦行などは、

まったく無意味でちょっと気持ち悪いとおもっていたのですが、

そうなるに至った経緯や理解が

少しずつすすんでいければと思っています。

 

 

 

今月の精進料理です。

左上にある料理は車麩をから揚げにして

柚子胡椒風味にしてあるものですが、

これがすごくおいしかった。

 

一昨日、3日の日に、新潟の親戚のところに日帰りで行ってきたのですが、

燕三条の駅に、越後名産の車麩!があったので買ってきて、

昨日の夜、作ってみました。

私は、麩を食べる習慣のない家に育ったので知らなかったのですが、

調理も簡単で、扱いやすく、

しかもおいしい、、、、

はまりそうです。

 

 

 

次回の真光寺の岡本住職の勉強会は、

11月29日(火)11時~です。

 

 

 

岡本住職の話のなかで、

仏陀は、3つにわけることができ

一つには、人間として存在していた仏陀、

二つには、真理としての仏陀、

三つには、方便としての仏陀、

となるそうです。

 

この三つ目の方便として、

というのが面白いです。

占いは、

この三つ目にてその特徴を発揮できそうな気がします。