禅のおしえ 執着したもののために憂える 人々は、わがものであると執着したもののために憂える。(自己の)所有したものは常住ではないからである。この世のものはただ変化し、消滅すべきものである。(『スッタニパータ』805)こんな文章を転記したからといって、私がそれを実行できているわけで... 2022.08.21 禅のおしえ
禅のおしえ 自分が自分でない 私には子どもがいる、財産がある、と、(誇らしげに)思いつつ、愚かな人は(それが失われないようにと)悩む。しかし、すでに自分が自分ではない。どうして子供や財産が自分のものであろうか。『ウダーナヴァルガ』1・20自分が自分でないとは、自分で自分... 2022.08.20 禅のおしえ
禅のおしえ 無常迅速なり。 聖典講読で勉強したことを、私なりの解釈でここに書いていきたいと思っているのですが、学べば学ぶほど、言葉を失っていくような状態になり、ブログのページを開いては何もかけずに閉じてしまう日が続いています。先月から始まった『原始仏典をよむ』のテーマ... 2022.08.13 禅のおしえ
禅のおしえ 原始仏典をよむ 今月から、聖典講読の会(真光寺)のテーマが新しくなりました。お題とする書籍は奈良康明という方が書かれた『原始仏典をよむ』です。NHKの教育テレビ・こころの時代という番組で奈良先生が講義をされていたそうです。その時の教科書となっていた書籍が今... 2022.08.01 禅のおしえ
日常 あじさいの剪定 今年(2022年)の真光寺のあじさい。例年にくらべて、いまいち元気がないような感じでしたが、見事に咲いていました。でも、梅雨の雨が途中で切断されてしまったかのように降らない暑い日々が続き、かわいそうなくらい、ぐったりしていた時がありました。... 2022.07.24 日常